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ござ先輩の主に技術的なメモ

「無趣味のすすめ」と「多趣味のすすめ」のあいだ

以前、メインのブログで村上龍の「無趣味のすすめ」を好意的に紹介しました。


その後で、シュンポシオン横浜でお会いした中山さんが、多趣味のすすめを書かれていた。色々、僕も気づかされることがありました。


このあいだが面白いと思うので、僕なりに考えを広げてみたい。

村上龍が趣味という言葉で表現しているものは「考え方や生き方をリアルに考え直し、時には変えてしまうものではない」という性質を持つsomethingだと思われます。僕もそういうものと付き合っていても面白くないし、自分を読む材料にならないからやめるべきだという主張には賛成です。それは単なる浪費しかならないのではないか、というメッセージも暗に含まれている気がします。

ただ、趣味というのは文字通り「趣」を「味わう」ことの意味があります。特に新しい何かを作り出すような小説家やデザイナーやプログラマーといった、クリエイティブな分野に携わっている人にとって、その種のインプットは、絶対に必要なもの。というか、そういうのがないと心に瑞々しさがなくなってしまう。企画には趣と企みがないとつまんないしね。村上龍は仕事の中でそういった趣味的要素を多分に得ているので、無趣味のすすめを説いているのかな、と僕は読みました。もちろん単なるリップサービスかもしれませんし、村上龍の視線は残念ながら少数の成功者の視線ではないのかというご指摘は、僕もそう思います。

僕が思うのは、「無趣味であること」と「趣を味わうことが無い」ことは別の話なのではないだろうか、ということ。

後者の意味が強くある趣味に没頭するのは如何なものかという主張ならある程度理解できますが、やっぱり趣味と何かを対立させて議論することには限界があります・・・。中山さんのご指摘の通りです。勢川さんがコメントでご指摘されていた「仕事」に対する認識・見解の違いも埋めがたいです。僕は、仕事はリスクを取ってやるものだと思っています。リスクの無い仕事は、仕事ではなくて仕事の一部を形成する作業のようなものです。僕は非常に刺激を好むタイプですからかなり偏った見解になっていますが、いちばん面白いことはいつだって仕事にあると思っています。趣味だけでは埋まらないモノは、確かに仕事にあります。しかし、仕事だけでは持ち得ないモノも、趣味の中にあります。僕も、ブログという趣味で色々なことを経験させてもらいました。

議論というのは、どうしても性質が違う対立軸というのが存在しますが、その中を「行ったり来たり」することで、様々な次元の間にある答えに近づいていきます。

僕はコードを書く、本を読む、ブログを書く、車を運転する、デザインに思いを馳せる、何か企画を考える、マージャンをする・・・そういったいつもやっていることが楽しいので、「これといった」趣味がありません。書くとすれば「趣味:ブログ、Web、ドライブ、読書、麻雀、洋服」とかになります。これが「多趣味のすすめ」につながるのか怪しいですけれど。趣味は趣を味わえれば何でもいいんで、僕にとって趣味を固定化する理由は無いです。仕事が落ち着いてきたら、千葉の一宮でサーフィン始めたいと思っていますし、色々旅行にも行きたいし!

というわけで、自重しないでアウトプットを出して行きましょう。そうすると趣のあるインプットにまた出会えるようにきっとなります。そうなれば、趣味の有無で議論をするという次元とは別の次元で、生産的な答えが見つかると思います。