プログラマからスーツを志したあの頃の僕と同じだと思った。
私がソフトウェア技術者をやめた理由 - elm200 のノマドで行こう!
僕もプログラマは続けても報われないという気持ちを覚え、プログラムを書いているのが馬鹿馬鹿しく思えた時期があった。正直者が馬鹿を見る世界であることを感じたし、コード書いてばかりいる今でも「んなわけないでしょ」と全てを否定できない。
その頃の僕はSIerでプログラマをやっていて、前任のPMの尻ぬぐいをやらざるを得ない立場になった。トラブルやキツい案件ってのは丸く収めても何も生まれない。技術を磨けば磨くほど、技術的要件で崩壊していく案件を助けるようなことをしなくてはならない(出来ないやつには任せられない)。そういう諸先輩が確かにいて、出来れば出来るほど良いように使われるのかなって思ったりもした。プログラマってどんだけ主体性のない仕事なんだろうってね。
こういう疑心が徐々に深くなってきてしまい、ゆっくりと確実にコードに愛着がもてなくなりました。コードに愛着がもてなると仕事に愛着がもてません。もういいや。金にも糧にもならない。辞めちまおうか、と。
情報の非対称性が云々というくだりは、素人に判断できないモノが多いので低レベルのモノが売れるってこと。本来はプロが素人をだますなんてのはもってのほかだけど、単純バカなコード書いても変更に強いコードを書いても、出てくる結果は同じで請求できる値段も同じ。なんかあったら「そんなの聞いてません、別途見積もりです。」でいいわけだし。
当時は家庭的なアレもあって精神的も追い込まれていて、わずかな失望が色濃い失望になり、PowerpointとExcelとポジショントークの日々を2年過ごしたけど、90%はチャート作成マシーンだった(案件も系列が多かったので、営業努力をあまり必要としなかった)ので、面白くも辛くもないという時期を過ごした。シビれない。ゼロから何かを生み出したという喜びがない。確かに人も金も動かすシナリオや絵を描いた。でも、それだけだった。
その2年の中で思ったのは、
- 経営とITの距離が離れすぎてる。ITは確かにツールだけど、ツールの意味すら考えられないのは経営の怠慢だろ。業者がホントのことなんて教えてくれるわけ無いだろ。ITの主体性が無いままでいいのか?
- 僕程度のプログラマの常識的なアイデアですら、効率化が図れる要素がふんだんにある。案件にはならなかったけど、自社に当てはめたら絶対成果は出る。それを伝えて仕事に変えていけるような仕事が出来たらいいなぁ。事業にしたいなぁ。
この2つ。僕がやって意味のある解決すべき問題はここにあると思った。要は役に立ちたいわけですね。ダイレクトに価値を提供したい、と。それをやるためには、受託開発主体のSIerに所属しては絶対に無理だった。
で、事業会社の内製推進とアイデアのIT事業化の2つのどちらかを追い求めていこうと思ってて、いきなり起業しても営業もろくすっぽ出来ないからすぐ死にそうだし、もっと色んな顧客の問題を知ろうとして人脈形成もかねてコンサル目指して転職活動してたら、今の会社に転職してひとり情シスになりました。
昔話はこの辺でおしまい。追い求めた先は、メインのブログで。