ブログをやっていてつくづく感じることは、読者には大きくこの2通りのタイプしかしないってこと。「この文章がよかった」と「この文章が許せない」の2つ。よかったの先が信頼につながって、許せないの先が憎悪につながる。
実はこれって人間関係でも一緒だと最近思うようになった。結局、自分から見た時に性格やクラスタの違いはあれど「その人と接点を持てて良かった」と「その人のXXが許せない」の2つに大別出来ちゃう気がする。
ただ、前者の「良かった!」体験はいくら積み上げて重ねていっても、たった1つの許せないで全てがパァになってしまう。不思議だ。過去の記事でありがとうと言ってくれたけど、次の記事ではバカなの死ぬのに変わっていく。あれ、この前のありがとうって何だったの?結局自分が気が済むように言いたいだけなの?僕はキミの何を信じたらいいの?ってさ。ブログに限らず似たような経験は結構あった。僕自身が当然至らない部分はあるにせよ、どうしようもない至らなさが望むようにならないから許せないと言われても的な葛藤もあったなぁ。
結局、ヒトが持つ一番強い感情は愛情でも友情でも何でもない。許せないという気持ちなんだって。そう感じる。
なので、許せないからXXしようという気持ちを持っているヒトは強い。その強さは、外的圧力に大して同じぐらい強い自分の内的圧力をぶつけて跳ね返す強さ。ショックなことが起きたら「なにくそ!この野郎!」と壁に正面からぶつかるような、そんな強さ。でもそういった強さは、自分の内的な何かを燃料にしているので、それが燃え尽きたときが怖いよね。何かを焦がさずには生きていけなくなるから。
自分にとって大切なことはそんな多く持てやしないんだから、大切なこと以外どーでもよくなっちゃえばいいのにね。その大切なことが自分を愛でる気持ちであれば、最高さ。
深イィことを書いたつもりなので気が済んだお。