責任という単語は日本語だと1つしかないのですが、英語だと大きく2つの単語があります。「Responsibility」と「Accountability」です。実行責任と説明責任みたいな訳語が使われることが多い。
色んなヒトがこの違いはどこにあるのかについて論考されているんですが、一番腹落ちしたのがこちらの言説。
Responsibility というのは「誰の責任であるのか」を表現する言葉であり、
Accountability は「誰が責任を取るのか」を表現する言葉である。
Accountability – アカウンタビリティ – 説明責任? | スコットランド情報ドットコム・ブログ
誰の責任であるかとは、ある行動に関して確実に執り行うことを保証するのは誰なのか、ということ。
誰が責任を取るのかとは、ある行動に関して実行者がその責を全うできなくても、最終的な結果責任を誰が負うのか、ということか。
もっと簡単に言えばプロジェクトを実施し顧客に対し請け負った成果を保証する責任がAcoountabilityで、そのプロジェクト内のWBSに定められた行程の実行責任がResponsiblityと考えると、個人的にとてもしっくりくる。
仮にこの定義が正しいのであれば、「引責辞任」というのは全く持って意味不明になってしまう。やったことに対しても、最終的な結果責任に対しても、辞任することで責を全うできる訳じゃない。ヒトが辞めれば責任が取れるなんてバカげた思想だと思うけど、「とりあえずこいつを切腹させますんで、気持ち納めてください」という感情が先にくるのはわからなくもないな・・・。
やったことに対する責任を説明するのは簡単だよな。「これ、やりました」で終わりだ。サラリーマンは多かれ少なかれこの種の責任しか取ることがない。ケツは会社が持ってくれるし、それでいいのだ。が、事業を行う立場の人間は誰もケツを持ってくれないのでほとんどの責がAccountabilityになる。この違いが生み出す人間的成長の度合いって結構相関関係がある気がする。
Accoutableな人間でありたいと思う。