Life is Really Short, Have Your Life!!

ござ先輩の主に技術的なメモ

Make A Wish

最近出会った人に、セレンディピティという言葉を教えてもらった。

自分が意図しない事態や事故に出くわしたとしても、そこで興味関心を覚えたり価値ある発見を先天的に行える能力。

そういった意味の言葉。

ポジティブくそ野郎な僕なりに解釈すれば、「今手にしているものに目を向けて、零れ落ちたものをいつまでも追わない。そこに答えは無いんだから。」そんな感じに思える。ダメなもんはダメだけど、どこかで大丈夫だと信じている感じ。

過ぎ去ったことをずっと考え続けても、自分が求める答えなんか見つからない。見つかるのは教訓とたらればの入り混じった後悔だけ。

最近改めて思うことは、「あ、今の自分にはこういうものがちゃんとあるんだ」っていうコトに気付くことがすごく大変で難しいと言うこと。

自分が手にしているものって書いたけど、実は自分が手にしているものは自分の手につかめるものじゃなくて。自分の周りを包み込んでくれるように、そこにあるものなんじゃないかなって。だから直接感じることができない。「ちゃんとそこにあるんだ」って意識を向けていなくちゃいけない。そしてそれは、自分じゃなくて自分の周りにいる人が教えてくれるものであったりする上に、同時に「自分が求めているもの」と「環境が与えてくれているもの」がマッチしないと、感謝の気持ちが沸いてこない。

こう書くと、人間ってのはホント身勝手に出来ているなと思う。

僕は自分で自分の時計を止めていた。どうやって解かせばいいのか、正直わからなかった。動いてみても「僕が求めているものは、コレじゃないんだ」ってことばかりだったなぁ。今にして思えば自分の立っている場所が間違っていたけれど、心のどこかで待ってたのは、「いいんだよ、今のあなたでいてくれて。」っていうメッセージだったように思う。自分の立ち位置が間違っていたとしても、まずはそれを聞きたかったんだろうと思う。

なかなかムシのよい話だけれども、そんだけくたびれていたのかもしれない。

人間くたびれちゃうと、人の気持ちや進言に対して寛容じゃなくなる。欲しいものしか見えなくなるから。すべきことに追い立てられ、自分も自分の身の回りの近しい人もいっぱいいっぱいで、段々と「負荷をかけないようにしない」→「良いことばかりを共有しよう」という気持ちになり、自分の軸と意思がブレてしまい、薪が燃え尽きるような感じで、結局うまくいかなくなった。

あーあの時こういうことができたらなぁというのをラップしつつ、過去をブログに置いてきた。

エントリの向こう側に暗に含んだ願い事をしていたら、誰かが見ていてくれて、ご好意に甘えて色んなことを叶えることができた。だからいつも、僕はちゃんと与えられているのだろうか、と思う。僕に出来ることは少ない。何でこんなこと書いちゃったんだろうとか、やめたらラクなのかなーとか、まぁ色々あったけど、願い事を秘めつつブログやってて良かったな、としみじみ思う。

これからの僕の10年、どうなっていくのか、わくわくてかてかしつつ、楽しんでいきますです。