作ったらおわりと、作ってからはじまり
昔の会社で大先輩エンジニアに教えられたこと。2年目の僕が初めて「前に出て」しごとを終わらせた時のこと。
「ござ先輩さんにとってはカットオーバーで一仕事終わりですけど、ユーザーさんにとって見ればこれからがはじまりなんですよ。」
なんと含蓄のあるお言葉・・・!
でも・・・。所詮僕らは出入りの業者。巣立っていくはずのシステムのこれからは、僕らは見ることが出来ない。システムを使うも捨てるも、ご購入者の意思ひとつなんだから。クルマの整備工や修理工も、きっと似たような憤りを持っているんじゃないのだろうか。
よくプログラマー同士の飲み会の席で「これはひどいぜあるある話」が肴になるんだけど、共通するのは「自分の書いたコードに愛着がないプログラマって何なの」っていうコトなんだよね。僕が思うに、一番の理由は使ってる人の顔が見えないことにあると思う。僕は元受と孫受けの立場で仕事をしたことがあるけど、元請で書いたコードで犯した失敗やよかった点は結構覚えている。孫請けの立場で書いたコードは1ビットも覚えていない。
この差はどこにあるかっていえば、自分の書いたコードがどこでどう使われるのかわからない、つまり、意義が見えないってコト。意義が見えないことやってて楽しいヤツはいないよね。自分の書いたコードがダイレクトに活かせる環境を作るには、ユーザーの顔が見える立場にいなくちゃいけない。
この辺の話はLife is beautiful: ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ているに詳しい。
料理人が食べる人の顔が見えないなんてあり得ねーだろってことをsatoshiさんは言っているのだ。
下に入ったら面白いこと何も無い。細かくても小さくても、プライムにこだわり続ける意味が、僕にも少しづつわかりはじめたところ。