Life is Really Short, Have Your Life!!

ござ先輩の主に技術的なメモ

「好きを広げる」人と「嫌いを削る」人

最近、このテーマについて考えることが多い。

「好きを広げる」って言葉の意味するところは、自分の価値観に無いものに出会った時に「何を得られそうか」という考えが先に来るってこと。

「ツマンナイ」ことが嫌いなので、基本的に変化を好みます。自分が「持っていない未知のもの」に対して概ね寛容で、自分の考えにないものにぶち当たると「へー、それおもしれー。そういう考えもアリなんだー」っていうのが条件反射で出てくる。ひどくなると脊髄反射になるw 

「自分に合うか合わないか」ということはあまり考えないし、そんなに固執もしない。考えるのは、これは僕にとってどんな意味があるんだろうってことだけ。一言で言えば、セレンディピティ。そんな感じ。

「嫌いを削る」って言葉の意味するところは、自分の価値観に無いものに出会った時に「何が問題になりそうか」という考えが先に来るってこと。

自分の好きを増やすより自分の嫌いを減らすのが先に来るので、「ツマンナイ」とか「面白そう」とか、そういうのはあんまり問題にならない。狭く深い嗜好を好むタイプ。自分の価値観の無いものに出会った時に「面白い」と思うよりも「ほんとかな」っていう感じで、自分の好きな考え方と逸脱していると「このネガを先に潰しておかないと」というのが先に来る。端的に言えば欠点が先に目に付いてしまい、それを解決できているかが先に来る。そうじゃないと生理的に不快なこともある。

前者のひとは「好き」という感覚でピントを合わせる。「そうそう、それ面白いよね。私も好き」って。

後者のひとは「嫌い」という感覚がピントを合わせる。「そうそう、あれはヤダよね。私も苦手」って。

結構こういう嗜好性はあるように思う。

嗜好性ってのは物事に対する、ピントの合わせ方のことですね。

で、難しいのは同姓の場合はおなじタイプでつるむことが多いんだけど、異性関係になると互いに持っていないものに惹かれたりするから、前者と後者が一緒になることも多いってこと。

もちろん悪いことでもなんでもないけれど、ピントの合わせ方が違うんだってことを認識しておかないと、ピントがずれたまま違った像を映し出すから、気をつけたいところだけど、難しいよなぁ・・・。

僕はやっぱりネアカすぐるので、前者のタイプの女性じゃないとどこかで破綻するなって、別れて2年経って益々感じる。最近、久しぶりに前者のタイプのひとに会えたから嬉しかった。

自分にこれから何が起こるかなんてわかりっこないし、意外と真剣に思い悩む必要があることなんてほとんどないんだから(試せないことは考えても意味が無いから)、好きを増やして「とびきりの今」を少しでも長く感じたいと思います。