Life is Really Short, Have Your Life!!

ござ先輩の主に技術的なメモ

過剰な反論と向き合うリスク

@miryuさんとTwitterしてて思ったことを書き連ねる。

WEBで文章を書いていて難しいことの1つは、自分の文章を部分的に切り取って別の文脈を付ける事がとても簡単なこと、にある。

それはもちろん悪いことではないのだけれど、元記事を書いたほうからすると「確かにその論点もあるけれど、今回はそういう意味では書いていないし、うーむ・・・。」みたいな。それがひどくすれ違ったりすると、端的には個人の価値観に正しいか否かを論じたり、「オマエは幸せで楽しいかも知んないけど読んだこっちの身になれ」みたいな方向にこじれていくと、とても世知辛い。

みりゅさんは例に「子育ては楽しい、幸せ」という論旨をあげていた。この話題は確かにセンシティブで「子育ては本当に楽しいか?そもそも子育てにおける幸せとは?」とか「子供を生むことができない層がエントリを読む恐れが」みたいな方向に行くと、もう書き手が追記してもどうにもならない上に、まわりが盛り上がって巡り巡って自分がDISられるという大変せつない展開になる。僕の友人・知人が炎上したケースは、ほとんどこういうのだ。

個々人の価値観なんてものはリアルで経験したことは表に出ず圧縮された状態で晒されるから、価値観という結果だけを論じやすくなる。それ誰得。

┐(´-`)┌ シラネーヨ

・・・おっと一部不適切な表現が・・・!

あえて言うなら、「主張を広げるポイント」と「だいたいこの辺で落ち着かせるポイント」ってのがあったほうがいい。特に後者があったほうがいい。前者はどうでもいい。着地点が無いのが一番怖い。返す刀で自分が刺されて後味がとっても悪くなるから。

賛同してくれる方がいるからブログのカウンターが回り購読者の方が増えてくれるのだけど、その反応は可視化できないのが難しい。逆に否定はすぐに目に付く。仮に割合が1000対1だとしても。

そこがWEBの難しいところで、1つの反論から過剰な反論のある空間が構築されやすい。

スルー力ってのは明らかに過剰な反論を気にするなよっていうのが本質なんじゃないかしら。だってそんなところでは、言論なんて無理無理無理無理かたつ無理。言いたいこともいえない世の中なんてポイズン。

WEBで言論が広まる過程ってのが「これはいい話ですなぁ、ナイスですよ」というものより、燃え広がっていく過程のほうがわかりやすいってのもあるかもねー。

ぶっちゃけ

はてブ見すぎじゃって思った人は概ね正しい。