ブロガーの発言責任とは何なのか
インターネットの備忘録で掲げられているこの命題。
- 「何かを発言するのであればその内容には責任を持つべきだ」
- 「自分のブログで誰かの人生が変わってもボクのせいじゃない」
この平行線について、例のやまもといちろう氏クリニックの内容を踏まえ、考えてみたいと思う。
ハヤトちゃんは終始一貫して自己主張は大切だ・多様性を認める社会である必要があるという話を繰り返している。それはわかったけど自己主張が大切だから何なんだっていう話ですし、そこから魔女狩りにつながっていく思考回路は何なのかとそこだけは不思議だったが、そこには驚くべき価値観が。
イケダ:さっきから繰り返しになってますけど、問題意識というのは皆もっと発言した方が良いんじゃないかと思うわけですよね。で、僕が発言するによって、炎上すればするほど皆さんは発言やすくなると思うんですよね
それはなんでかっていうと、要はみんな怖がりすぎだと思うんですよ。僕が叩かれてるのを見ることによって勇気を得られるわけですよね。実際そういうことって僕はかなりあったんですよ。人が炎上している姿を見て、あぁ、この人はこんなに石を投げつけられているけどしっかり自分の意見を言っていると。
やまもといちろう ×イケダハヤトの「ブログ論争」対談書き起こし - NAVER まとめ
イエス・キリストのごとく僕が踏み台になることで皆さんが勇気を持って「あんなに石を投げられてもアイツはやっていける、僕ももっと自分を出して生きていこう」という道標でありたい的な発言があり、石を投げつけるこんな社会へのレジスタンスの象徴的な炎上なんだ、という話らしい。その姿に自分は勇気をもらったとおっしゃられている。社会は多様性を認めないから僕を狩りにいこうとしている、そんな社会に復讐するという意図が見え隠れてしている。でも、その自己主張が狼少年だったら多様性以前の問題だろっていう思慮はないようだ。
こ、こ、これでは、何を言っても全部石を投げられることが正義になるんだから責任論を振りかざしても平行線になるのは当然だな・・・。
いや、納得できました。はい。えー、納得がいきました。
でも、この考え方は人間組織の中では無責任ということになるでしょうよ・・・。発言した内容の妥当性は保証しませんよと開き直ったら狼少年に騙された人たちはどうするんだよっていうツッコミに対して、答えが出せないじゃないですか。僕の肌感覚として「吐いた唾は飲めない」というものが強くある。しかし、ハヤトちゃんの場合は自分が相手に発言した内容を元に相手は動くんだよ、それで結果が出なかった or 先方に石を投げることになったらどうするのっていう話に対して、狼少年であることは問われずに石を投げる行為がダメよに繋がっているんじゃないかな。
こ、これでは、子供と揶揄されても致し方ないよ・・・。
さて、表題のブロガーの発言責任とは何かについてだけど、僕としては「自分は狼少年ではありません」ということを文章を通じて伝えていくのがブロガーの責任だと思う。自分の書いた内容で誰かが何かのアクションを起こしてもその責任は取れない。親と子供じゃないから。でも、自分が書いた内容は自分が生きていく中で体を張って見つけたものだってことが伝わる何かを、影響力のあるブロガーの方々は持っている。僕もそこはキッチリやりたい。それが積み重なるから、ちょっとだけ他人様より一目置いてもらえる。そうすれば、伝えたいことが伝えられるようになって人生が始まっていく。
伝えたい内容は何でも良くて何が伝わったかもどうでもいいなんて、僕にはあり得ない。
こちらからは以上です。