Life is Really Short, Have Your Life!!

ござ先輩の主に技術的なメモ

毒にも薬にもならないことは、意味がない

嫌われたくなければ、家でひとりノートに書き綴っていればいいだけなんです。誰にも邪魔されず、嫌な思いもせず、静かに自分の考えをまとめて、大切にしまっておくことができる。でも、そうじゃなくて、こうして外に向けて書いている以上は、嫌な目に合う覚悟、みたいなものは必要で、そこを越えられるまでは、多くの人に見てもらいたいと思うべきではない。

最近よくある「○○まとめ」みたいなものは、自分の生々しい部分を出さずに注目を集められるかもしれません。叩かれても「はいはい」で流せるでしょう。でも、いま自分が感じているような気持ちは味わえないだろうなとも思います。

インターネットの備忘録

自分の生々しい部分を出しまくって、ついに累計30000被ブクマを稼いだ僕が通りますよ。なかなかいませんよ、こんな基地害。

Webって数百程度のPVでは、全く反響を得ることができない。反応を返してくれるのは、アクセスしてくれた方々の1%ぐらい。なので、圧倒的多数に視聴され話題にされなければ、自分のエントリに対する反響を得ることが難しい。ということは、批評がてんこもりの数千近いPVが無ければ自分にとって有用なフィードバックを得ることが困難なんですね。割に合いませんよね。バカバカしくなるのが当たり前です。何が一億総表現社会だと。友人同士がブログ書いてIDコールみたいな楽しみ方が平和でいいよねぇ。

ブログという場所は自分を守る防護壁がありません。どこからどんなボールが飛んでくるのか予想も付かない。顔をつきあわせていれば、コミュニケーションのベクトルを合わせることができます。でも、ネットのブログで不特定多数の読者と同じ架け橋を共有することは不可能。で、次に何をするかというと、防衛線を張るんですな。叩かれても痛くないように先回りした文章を書くことは出来ます。鎧をかぶるのです。でも、そんな文章を読み返してみると、自分で読み返しても歯切れが悪くて、結局何が伝えたいのかサッパリわからなくなっちゃう。これもまたバカバカしい。

ネットで自分の生々しい部分を描写した文章を書くってのは、デメリットとメリットの比率が10:1ぐらい。この比率は変わらないので、メリットの内容を濃くするしかないのよ。

色んな人に見て貰って色んな人の意見を聞きたいと思う気持ちは、5000累計ブクマぐらいまでかな。もうそんな気持ちはどこかへ行ってしまった。届けたいなって思う想定の読者層に1人でも届けば、それでいい。それが「めぐりあい」となって色んな出会いを産むことが出来る。慣れてくれば文章を書いていながら、相手の反応を予想できるようになるので、人を巻き込めるようになる。同時に、離脱するポイントも見えてくるけどね。

個人的に最も重要なポイントだと思っているのが、自分にとって毒にも薬にもならない文章をいくら公開しても、その文章が巡り巡ることはないってこと。外へ外へ届く文章は、信念がないと。ただ自分の居場所にじっとしているような内容では、人の心は動かない。訴えかけるモノがないから。それは同時に、自分に対して訴えかけるモノがなければダメで、その着地点を誤ると地獄の業火が待っていることもある。それが怖くてやってられっか。

ただ自分の居場所にじっとしていてはだめなんですよ。外へ外へと出て行って、巡り合って育てていかないと。机の前に座って情報を集めるだけでは、そこに熱がない。あなたを認めもしないし、刺激もしないし、ホロリともさせないじゃないですか。

「おさまってたまるか」 中村勘三郎が語る仕事―4

「認めもしないし、刺激もしないし、ホロリともさせない」ってホント良い言葉だよね。僕が大好きな中村勘三郎の名言。

そうなりたいと思うのなら、自重したら絶対あきませんで。

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