You are there,I’m here.
今日(2/9)は中学からの友人からの誕生日。おめでとうー。
でも、驚くほど僕らは何も共有していない。時間軸だけを共有している気がする。
お互いに相談をしたり、将来を語り合うこともほとんどなかった。進路も気がついたら互いに決まってた。
毎月~2ヶ月に1回ぐらい、週末に会って、ゲームしたりビリヤードしたりメシを食ったり。
なんかそれだけでもう10年以上経ってしまった。
ネットで会った人とは、ベクトルを共有できたり、情熱を共有できたりする。
情熱をつなぎとめるためにネットに居場所をつくることが必要になってきた。
その友達(以下N)といる時は、そういうことは全くといっていいほど無い。
何がお互いをつないでいるのかも良くわからない。
もっと突っ込んだ話もできなかったのかな、と思う。何かを見落としているんじゃないかと。
10年以上友達づきあいがあるのに、プライベートについてこんなに知らないのは
違うのではと結構思う。ネットで知り合った友人のプライベートのほうが詳しい
ことのほうが多いぞ・・・。
僕は本音を言うのが苦手だ。背負い込むタイプはみんな本音を言うのが苦手なのだ。
でも人一倍、「僕が僕であるために」という気持ちを強く持っているのがこのタイプ。
それが自分の存在を確かめられる、あるいはもっとも感じられる、から。
そういう二人だと、「俺たちが立っているフィールドが交わることは無いし、あんま
交わっても自分の存在がよくわからなくなるから、俺はここ、お前はそこ。それだけを
確かめ合えたらいいじゃないのか?」という価値観になるのだろうか。どうなんだろう。
ただ、言えること。
10年が過ぎて、お互いに色んなことがあって、それを共有しているわけでもないけど、
まるでTwitterのタイムラインのように、その人の存在が、ただそこにいてくれることで
「もちつもたれつ」な感じなっていて、ぼんやりと眺めているだけでも、どこか気持ちが
ラクになる。
僕がTwitterをやってるのは、そういう感覚を覚える時が結構あって、それが嬉しいから。
やっぱり想われるよりも想うほうが、幸せなんだなぁとしみじみ想う。
I'll be There for you!