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ござ先輩の主に技術的なメモ

ネットサーフィンは修行、Blogの成果物は自分の成長

Webとのつきあい方 » 科学と生活のイーハトーヴTwitterログが興味深かったので、私見を述べてみる。

情報収集としてのWEB、同時に情報発信についてのWEBについて、僕はこんな感じで考えています。

インターネットに溢れる情報は、どうしても玉石混淆だし、断片的なものになりがちだ。信頼できる情報とできない情報を選り分ける手間と時間は、非常に無駄なものに感じられ、ストレスになる。また、知識や理解の程度がばらばらな人がそれぞれのスタート地点から論じたものを寄せ集めるより、専門家に聞くか、専門家が書いた書籍を一冊、通読した方が私には良いと感じられる。

したがって、仕事上で実用的な情報を得る手段としては、リアルの人間関係や書籍にくらべてwebの重要性はやや低い。「コンテンツが薄い・足りない」という印象が強いからだ。

Webとのつきあい方 » 科学と生活のイーハトーヴ

「知識や理解の程度がばらばらな人がそれぞれのスタート地点から論じたもの」だらけなのがWebというのは全く同感で、体系立った知識の上につまみ食いをすべきだろうなと思います。僕も新人の頃は本代をケチらず買ったし、一冊の本をちゃんと100%消化できたかといえばそれは難しくて身になったものは非常に少なかったけど、消化不良でも一応は消化できていたので、なんとか今があります。

全てがそうだとは言いませんが、各々のスタート地点から論を発しているものは「こういう問題は、最終的にこういう結論になった」という結果に過ぎないものが多いです。それだけ手にとっても、何にも残らない。他人のが見つけた「1」よりも、当たり前なことでもいいから自分の「1」を作ることがきっと大切で、その意味でWebというのは表層的な情報が多いため「コンテンツが薄い」かもしれない、と思います。ただ、ヒントはいっぱいあります。コンテンツとまでいかないけど、考え方のヒントをもらうためにネットサーフィンという修行があるのかも。

また、「玉」の情報を見つけてくることだけで評価され続けると、その情報の価値が自分に化体しているような錯覚に陥りかねない。その情報を創作したわけでもなく、評論としての体すらなしていないものなのに、だ。

Webとのつきあい方 » 科学と生活のイーハトーヴ

馬券の予想屋みたいなもんですね。要は「ウチの予想を買えば当たるよ」という話のように思えます。そういう方はロジックがないので、「評論としての体すらなしてない」わけで。

13000を超えるはてブを集めた中で、確かに「玉」の情報を多く頂ける機会が増えました。当たり前ですよね。発信している人に情報が集まるし、ある程度踏み込まないとフィードバックは得られません。訴えかけるものがなきゃ、誰もブクマしようとはしないでしょう。毒にも薬にもならないことは自分を読む意味で価値がない、ってのが僕のBlog運営上のポリシーです(実生活は別ですよ、流石にねw)。

で、これだけは間違いないと思うのが「自分が質の高いナレッジを提供すれば、それに呼応した質の高いレスポンスしか返ってこない」ということ。アウトプットのレベルが低ければインプットのレベルも低い。逆も然りです。なので、あんまり出し惜しみする気も無いんです。役に立ってナンボだし。役に立てばまた役に立てることを身につけられますし。

確かにはてなは距離が近いです。読者との。フィードバックの多さはやっぱり魅力ですよね。可視化できる指標が目の前にあれば「狙って」みたくもなります。僕は今なら狙って入れることが出来ます。何にもなんないけど。最初はとても面食らうのだけどw 良くも悪くも人間くさいのがはてなです。ブックマークページという自分のエントリをブクマしている方が一堂に会す所が可視化できるのが原因だと思います。あれがなければ、単なるカウンターみたいなもんですからね。800users。That's all.

ただいくらブクマ集めても、リアルでの行動が伴わなければ、別に人生変わることもないですよ。疲れることのほうが多いんじゃないですかね。所詮ブックマークってのは突風みたいなもので、2日も経てばまた違う話題に変わるんですから。それよりもRSS購読であったり、ブラウザのお気に入りに入れて頂けるほうが意味があると思います。

ハッ(ryに会いに行っている方はちょっと危ない香りがする。アテンションに狂い始めているかもしれない。はてブドランカーみたいだもん・・・。

ま、自分にとって意味があれば何でもいいんですよ。その継続が自分の成長につながるし、時には人生を切り開く何かになるので。それ以外は全部二の次で。もちろん「意味」は形を変えていくでしょうし、僕も昔とは続ける「意味」が変わってきています。