id:komoko-iさんの見解にまとめてレスをしてみる。
タイトルのつけ方
僕は基本的に先付け派。つまり、まずタイトルを書く。次にメッセージを決める。あとはつらつらと文章を書く。以上。初めから書くことは決まっていて、メッセージを導くための文章を水がわき出る感覚で書き連ねる。
ただ、書いているうちに話があっちいったりこっちいったりする時はあって、そういう時は後からタイトルをつけることもある。いまはてブトップに入っているエントリは、後付けです。
僕の場合は多少釣りっぽいタイトルでもいいと思っている。ピリっと辛いタイトルも時には有効。タイトルで引きつけないと読まれませんから。目と目が合った瞬間って大切でしょ?
ブログを書くスタイル
1週間に1回エントリを起こすことにしています。そうしないと億劫になって更新できなくなるから。
更新にかける時間は平均1時間弱です。調べ物をするときは2時間以上かかることもありますが、1時間ぐらいで書ききれないと集中力が切れてしまうし、気持ちも切れてしまって熱が冷めちゃうので、短時間で強火で炒める感じで書いています。冷めてしまったものを温めなおすのは、非常に難しいです。
ブログを書く理由
自分が成長するためです。ブログの成果物は自分の成長しかないと思っています。
文章を書くことの意味
この文章に全ての理由があります。
文章を書くということはとてもいいことだ。少なくとも僕にとってはとてもいいことだ。最初にあった自分の考え方からそれを「削除」し、そこに何かを「挿入」し、「複写」し、「移動」し、「更新して保存する」ことができる。そういうことを何度も続けていくと、自分という人間の思考あるいは存在そのものがいかに一時的なものであり、過渡的なものであるかということがよくわかる。
- 「遠い太鼓」 著者:村上春樹 563p
思考の種を埋めるっていうことに通じると思います。
で、それがどういうことにつながるかといいますと、
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
こういうことだと思ってます。
文章を書くことの癒し的な作用
昔書いたことがある。
心理学用語で「カタルシス」という言葉があります。はてなダイアリーの定義を借りると「文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。」とあります。この「文学作品などの鑑賞において」を「自分が晒したエントリーにおいて」に読み替えるといいと思います。私はこのカタルシスは知的生産における麻薬みたいなもんだと思ってます。自分の思いをカタチに出来たときそれはとっても楽しいはずです。
文章を書くことで何かわだかまりのようなものが氷解し一種の解放感があるはずです。そういう気持ちが無ければ、カネ儲けや仕事でもない限りBlogなんて続きません。
鎮静作用ってのはこういうことだと考えています。
でも、言葉はあくまでおまけ
そこで、「人間らしさ」というのは、なにによって決まるのかを改めて設定するとします。人間らしさは、文章を書くのがうまかったり、話し言葉が巧みで要領を得ていて、人をわかりやすく納得させることができて、多くの人を集めることができるとか、そういうことによって決まるのでしょうか?そうじゃないはずです。人間らしさは、そういうことじゃありません。これは、僕が勝手に自分を納得させた考え方なんですが、言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです。言葉というのはオマケです。沈黙に言葉という部分がくっついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。
読まれる記事っていうのは
記事の中にある確かな余韻という沈黙で、自分の心にしっかりと残る何かがあるからだと思っています。