自分の心に率直に従うということは、孤独であるを要求することだと最近感じます。
理由は単純で、自分に対して率直になればどうしたって自分の身の回りにいる方達とぶつかることになるからです。
だから、多くの人は「いい人」であろうとするのだと思います。でも、そのいい人って都合のいい人ではないのかなって思うことがあります。
いい人っていう言葉には、誰にとって何がよいのかという視点がすっぽり抜けています。みんなにとって「いい人」でいられるかといえば、それは違う。誰にとってもよい顔をする自分をみせていたら、信用されなくなります。こういう人のことを風見鶏というのです。立っている立場が違う人たちの間にたてば、板挟みというのは当然生まれます。何らかの基準をもってどちらかを優先して行動するのは、とても難しい。
でも、そこでどっちつかずの態度を取ることは一番いけないことだと思います。
対立とは言い過ぎかもしれませんが自分の立脚点を定めると、すれ違いは必然的に発生します。
でも、あなたにとって大切な人以外の人たちに嫌われたり疎まれたり陰口を叩かれたとしても、そんなに気にすることないじゃないですか。あなたにとっては大して重要な人ではないのですから。ほかにもっと大切な人がいるかもしれないかもしれませんし、あなたのことを想っていない人たちの言葉に耳を貸すよりも、自分の大切な人、自分の内なる声に耳を傾けるべきではないでしょうか。
健全なぶつかり合いを恐れてしまっては、自分の前の道を切り開くことはできません。
Honesty is hardly ever heard and mostly what I need from you.